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主任なのに、ブログを副業にした理由

プロフィール

 

 

このページから来られた方、
はじめまして!しゅんまると申します!

 

 

  • 現在35歳です。
  • 製造業で働いていて主任をしています。中間管理職として20人弱の部下を持ち、日々格闘しています。
  • 年収は650万くらいです。一般的な平均年収が400万と言われている中で、僕はそこそこ貰っている方なのかな?と思います。
  • 一軒家を購入しました。

 

 

ここでは「なぜ僕がブログをはじめたのか?」を少し昔の原体験をさかのぼって読んでもらいたいと思って書きました。

 

 

僕がブログをはじめた理由は「とにかく自分で使えるお金が欲しかったから」これだけです。

 

 

たぶん年収から考えると、そんなにもらってるのに贅沢だ!!とか言われるかもしれません。

 

 

でも、僕はお小遣い制なので、好きな事をしたい!と思っても小遣いの範囲でしかお金を出せません。

 

 

ちなみに小遣いは、月に15000円です。

 

月15000円なんて、何ができますか?!

 

1日130円の缶コーヒーを3本飲んでたら、30日で約12000円です。

 

 

ただジュースを1日3本飲みたいと思っただけで、小遣いを使い果たしてしまう、そんなレベルなんです!

 

 

なのでとにかく家計は別にして、副業として個人的に儲ければお金を使えるんだ!と思って始めました。

 

 

僕のプロフィールを一見すると、まぁまぁ普通に出世をしている
といった印象かもしれません

 

 

でも実感としてはまったく裕福だと感じていません。お金も持っていると思った事もありません。

 

 

これは田舎の方の考え方としてありがちなんですが、

 

 

そこそこの企業に就職して、お金を貯め、出来るだけ早く結婚し、一軒家を立てれたらようやく一人前だ!!

 

 

みたいな凝り固まった考え方があります。

 

 

貯めたお金を、結婚式で使い果たし、一軒家を35年ローンで借金をして、一生をかけてお金を払い続ける

 

 

今でこそ

 

 

・貯金はするべきではない

・一軒家は買うな、賃貸が最強

・投資をする(つみたてNISA、NISA、iDeCo等)

 

 

など、金融リテラシーが一般的に広がっているのでそこそこ田舎暮らしでもそういった発想はなくなっては来ていますが、

 

 

当時僕が働き始めた、20年近く前はそんな知識はありませんでした

 

 

つまり僕は、負のループにはまった一般的な30代会社員なのです

 

 

なぜこんな思考になったのか?原体験は何なのか?など、

 

 

少し過去にさかのぼってお伝えしようと思うので、もしよろしければお付き合いください…

 

 

幼少期

幼少期

 

 

 

生い立ちから軽く説明したいと思います

 

 

一人っ子として生まれた僕は物心ついた時から母と祖母と3人暮らしでした

 

 

別に親父が何か悪い事をしたわけではないみたいなんですが、すでに離婚していました

 

 

が、金銭的に何不自由することなく暮らせていた印象でした

 

 

母子家庭だから金銭的な問題があるとかはありません

 

 

そのかわり、母も祖母も仕事に行き、ほぼ保育園で遊んでいた記憶しかありません

 

 

朝6時くらいに祖母が僕を保育園に連れていってくれてまだ保育士さんが出勤していない時間なので、給食のおばちゃんがカギを開けてくれていました

 

 

毎朝、1番に登園していました

 

 

僕が今、親の立場になって思いますが、ホントにつらかったんだろうなぁと思います。

 

 

感謝しています 

 

 

毎朝、孫を連れて15分ほど歩いて保育園に連れていき、自分は仕事へ行く。

 

 

僕なら仕事前に連れていってから仕事なんて考えられません…

 

 

さて、僕の保育園内での思い出は

 

 

給食の時間にどうしても食べられないピーマンを残して、食べるまで絶対遊んだらダメと言われて、ずっと机に座らされた思い出が一番残っていますww

 

 

当時だからよかったものの、「今ならコンプラ的に完全アウトなんじゃ…?」と思ってますw

 

 

たぶん1~2時間は机にずっと座っていた記憶があります

 

 

でもあるとき、2時間たっても、3時間たっても先生は許してくれる様子じゃなく、僕はどうしても遊びたくなってあることを思いつきました

 

 

先生がフラッと教室から出て行ったのを確認して、当時1Fの教室だったので小窓からピーマンを全部口いっぱいに入れて捨てるという行為をしていました

 

 

なんであの当時こんな発想が出てきたのかわからないです。しかし、それもばれてしまいます

 

 

ある日、

 

「最近保育園のある1か所のところに野犬がウロウロしていて、いつも集まっているから危険だ」

 

という近所の住民からの通報があったみたいです。

 

 

どうやら調査を続けていくと、「僕の小窓」でしたw

 

 

どうやら僕が吐き捨てていた「ピーマン」他にも嫌いな野菜「トマト」、「キノコ類」を野犬がそれを目的に食べにきていたらしいのです

 

 

当然親も呼び出されて教育的指導を受けたみたいですwww

 

 

いい思い出です♪ちなみに今ではピーマンは食べられますww

 

 

トマトとキノコ類は一生食う気はありませんwwww

 

 

暗黒の小学生期~明るい中学生期

暗黒の小学生期

 

 

小学校は暗黒時代…いわゆる「黒歴史」ですねぇ…

 

 

2点苦しかった思い出があります

 

 

1点目はまず、勉強で速攻つまづいてしまいました。

「算数」が一番苦手でした!!

 

 

というよりは計算が苦手だったのです(今でも暗算が苦手です)

 

 

足し算と引き算が壊滅的にできなくて、3年生か4年生まで手を使っても計算できていませんでした。

 

 

その様子を見て当時、母親はこう思ったそうです

 

 

「あぁ…この子は発達障害なのかな」

「将来は高校入学もあきらめないとダメだな」と

 

 

ところが、担任の先生が非常に熱心な先生だったらしく、「あきらめないでください!」と母親に勇気づけ続けてくれていたそうです。

 

 

塾に入ることを薦めてくれて塾に入ってから計算ができるようになりました

 

 

この先生が居なかったら僕はどん底のまま将来を生きていってたのかもしれません。

 

 

2点目の理由が「いじめ」です

 

 

僕はそこまで別に性格が暗いわけでもなく、ひねくれていたわけでもなく、貧乏だったわけでもありません

 

 

母子家庭でしたが、母も祖母も一生懸命働いてくれて、お金に困っていたことはありませんでした。

 

 

当時、いじめられていた理由がまったくわかりませんでした。

 

 

今となってはわかるんですが、いじめというのは別に理由があるからいじめるわけではないんですね。

 

 

特に理由がないけど、おもしろいからいじめる

 

 

僕は「集団」でいじめられていたわけではなく、ある一人の子からいじめられていました。

 

 

その子の取り巻きは何もするわけではないんですが、その子一人から意味もなく

 

いきなり殴られる

蹴られる

つねられる

モノを投げられる

 

 

という毎日でした

 

 

今思ったら何がそんなに怖かったのかわかりませんwww

 

 

ただその子が命令したら絶対。

 

 

命令を聞かなかったら、ひどい目にあわされるという恐怖心しかありませんでした。

 

 

そんな中、親友ができました

 

 

その親友は途中で転校してきたんですが、とても頭の回転が速く、手先も器用で、僕とは正反対でした。

 

 

理由を覚えてないんですが、転校初日にケンカをしました。

 

 

何がきっかけでそうなったのか覚えていないんですが、いきなり取っ組み合いのケンカになってしまったのです。

 

 

その時に教頭先生が止めに入ってきて、片手で僕とその子をヒョイと持ち上げられて、めちゃくちゃ怒られました。

 

 

そのあとに「教頭先生、めちゃくちゃ怖かったなぁ!?」と二人で盛り上がって仲直りしたのを覚えています

 

 

そこからつるむ事が多くなり、一緒に帰ったりすることも多くなりました。

 

 

でも、僕はいじめられていたので、その子と帰れない時がしょっちゅうでした。

 

 

するとあるとき「なんで一緒に帰れないんだ?」と言われて、そこからいじめられていたことがバレてしまいます。

 

 

でもその時に「いいからいっしょに帰ろうぜ!」と言って、いじめっ子の命令を無視して一緒に帰ってしまったのです。

 

 

それがマズかった…

 

 

次の日、案の定いじめっ子は「なに命令無視してんだよ!!!」と言って、めちゃくちゃ怒って僕を殴る、蹴る、つねる…

 

 

おまけに親友もいじめっこに「お前も一緒だ!!」と言われボコボコにされていました。

 

 

なんでやり返さないのか不思議でしたが、たぶんやり返すと「僕の仕打ちがまた一層ひどくなる」と思ったからなのかなぁと思っています。

 

 

当時のことは恥ずかしいから聞いてませんがw

 

 

そこから、その親友もいっしょにいじめられることになってしまったのです…

 

 

でもまた勉強の時に助けてくれた担任の先生の力がありました

 

 

僕の母親がいじめられているという主張を先生に話したら、先生はいろいろと動いてくれていじめっこの親にも掛け合ってくれたりしていたそうです。

 

 

そしてある日突然…僕にとっての「革命」が起こりました

 

 

自宅でゲームをしていたら、玄関のドアが開いて、そのいじめっ子が立っていたのです。

 

 

「ど、どうしたの…?!」

 

 

と動揺しまくっていると、

 

 

「コレ、やるわ。今まですまんかったな…」

 

 

と一言だけ言って帰っていきました

 

 

「キャラクターの缶の箱」を置いていったので、その中を見てみると

 

 

今までの僕が取られたおもちゃや、いじめっ子が使っていたおもちゃがぎっしり入っていました。

 

 

僕は月並みな言い方ですが、ほんとにポカーンとして「しばらくその場に立ちつくして」いました。

 

 

後日聞いた話によると、ついにいじめっこの親がいじめを認知したらしく、相当こっぴどく怒られたらしいです。

 

 

こうして、長かったいじめられっ子生活は突然終わりを迎えました。

 

 

その後の小学校生活は平和そのものでした!

 

 

いじめっこはたまに顔を合わすものの、何も言って来ず、無事卒業を迎えられたのです

 

 

有名なところだと「DaiGoさんのいじめの話」が有名なんですが、

 

 

自分が行動しないと、今の環境は変わらない

 

 

という事です。

 

 

僕自身は何もしていないかもしれませんが、親にアピールを続けてました。

 

 

いじめられている人って結構、いじめられてる事自体を隠したがる人多いと思います。

 

 

でも行動しないとやっぱり変えられないんですね。

 

 

もし手を挙げられて、自分が勝てないとなったとしても絶望せずに、恥を捨ててでも誰かに助けを乞いましょう!!

 

 

それで今の環境を変えられるなら、恥なんて捨てればいいと思います。

 

 

話しがちょっとズレしまいました…

 

 

時は流れて、中学校に入学しました

 

 

地元の中学校は、小学校卒業生が全員中学校にいっしょに上がるので「ワクワク」とか「期待」とか、そういったものは感じていませんでした。

 

 

ただただ、勉強が本格的になる事が嫌でした。

 

 

ところが、中学に上がってからは楽しい事ばかりでした。

 

 

1年生で初恋を経験する。

 

部活でバスケ部に入って、いきなり1年で2.3年生に混じって練習する。
(1年から混じれるのは5人くらいしかいませんでした)

 

2年生になると学級委員を任される。

 

など、楽しいことばかりでした。

 

 

特に、2年生の学級委員を任された時、僕はめちゃくちゃ驚いたのを覚えています!!

 

 

あの「いじめられっ子の、足し算、引き算もまともにできなかったヤツ」が学級委員長に選ばれるなんて…?!

 

 

思えば、小学校の頃に自己肯定感を破壊されて、完全に失っていたものが中学になって、学級委員長の経験を機に、少しづつ回復していったように思います。

 

 

いじめによって、

「自分は弱い人間」

「いじめられるような醜い人間」

という思い込みが深く根付いてしまった。

 

 

でも、学級委員長という

「みんなから慕われている人がやるポジション」

「頭がいい人がやるポジション」

というイメージのポジションに付くことができたことで

とにかく自信になりました。

 

 

人って明確なポジションを任されることによって、成長していくもんなんですね。

 

 

だから、そこから勉強も頑張りました。

 

 

足し算、引き算もまともにできない学級委員長なんて恥ずかしい!!と思って数学もそれなりに頑張ってきました。

 

 

1年生の時に散々だったテストの点数も3年生になるころには平均して75点くらいまで取れるようになりました。

 

 

もともと引っ込み事案の性格があって人の前に立って話すのが苦手でしたが、なんとか盛り上げようと、いろんな話術を試したり、憧れる先輩のマネなんかもしました。

 

 

ポジションを与えられることで努力できたことはホントいに感謝しています。

 

 

でも学級委員長は大変でした。

 

 

男子と女子の仲が究極に悪く、いじめも目に見える形で行われていました

 

 

僕は学級委員長の立場を理由に止める事はできたのですが、まわりの人たちは完全に無視、もしくは、取り巻きになっていました…

 

 

僕は「あの時学級委員長じゃなくても止められていたのかなぁ…?」なんて今でもふと思い出して、なんとも言えない気持ちになる時があります

 

 

おまけに破天荒な悪ガキがいたので

 

・屋上でタバコを吸って住民から苦情来る

・昔のストーブ(煙突があるタイプ)に紙を押し付けて燃やして、窓から投げてどこまで飛ぶか競争したり…

 

 

学級委員長として責任を取らされる事ばかりでした 。

 

 

そんな大変な経験も経て、3年生も見事に学級委員長に選ばれてしまったんですが…。

 

 

3年生になると今度は生徒会にも呼ばれるようになりました

 

 

執行委員にはならなかったのですが、生徒会の人と仲良くしてもらったおかげで、面白い企画とか考える事に参加させてもらえたりして

 

 

そこそこ楽しかったです。

 

 

中学生活は人生の中で、もっとも面白くて、成長できた期間でしたね。

 

 

そして僕は色恋沙汰もなく、高校は「工業高校」に入学しました

 

 

なぜ「工業高校」なのか?

 

 

その理由は、2つあります。

 

 

まず1つ目として、母子家庭なので「県立高校」である必要があったからです。

 

県立だと学費がすごく安かったんです。

 

 

そして2つ目が、「工業高校」に入れば就職に有利になるからです。

 

 

「県内有数の工業高校に入ろう」となったわけです。

 

 

親に迷惑はこれ以上かけられないと思っての選択でした。

 

 

ここでも、お金があったら今頃どういう未来になっていたのかなぁ?と妄想するときがあります。

 

 

お金があることで選択支が広がる

お金がないことで選択肢は狭まる

 

 

当時お金がないと決めつけていた僕は、選択肢を自分で狭めていました。

 

 

もしかしたら、

 

大学に行って、ちゃんと勉強して、「IT」関係の会社に就けていたのかもしれません。

 

もしくは、今ではまったく考えつかない様な「独立」とか違う道もあったのかもしれません。

 

 

こういった岐路に立つたびに「お金」が絡んでするんです。

 

 

別に親がお金がないからという理由で恨んでいるわけじゃないんですが、「お金」を「手段」として考える思考はホントに大事だと思います。

 

 

 

なんだかんだ面白かった高校生期

高校生期

 

 

高校に入ると、今まで仲が良かった友達はほぼいなくなり、どうやって友達を作ればいいかわからないまま、だいぶ悩んでいました。

 

 

なので、いっしょに中学の時の友達と通学する時だけが楽しくしゃべれる唯一の時間でしたね。

 

 

その友達はクラスが違ったので着いたら離れ離れになっていたので…

 

 

僕は入学した科が「情報工学科」だったので、プログラミングを勉強していたのですが、はっきり言ってめちゃくちゃ嫌いでしたねw

 

 

どうも症にあわないみたいです。人生で始めて赤点をとりましたwww

 

 

というか、プログラミングの先生が大嫌いだったので、それもありますwww

 

 

今ではもっと勉強しておけばブログするにも役立っていたのかなぁ…?なんて思います…。

 

 

プログラミングのテストで、赤点に苦しんでいた時に、教えてくれたのが高校に入って初めての友達でした。

 

 

その子は今、大学でプログラミングを教えているくらいすごいやつでした

 

 

ちなみに僕が入学した2010年頃っていうのは「IT」という言葉がすごい流行っていた時代でした。

 

 

「これからはIT(情報技術)の時代だ!!必ずインターネットが来る!!」

 

 

と言われていた時代だったので「就職も絶対IT関係の会社に入ってやる!!」と思って入学しました。

 

 

でも、入学してまず言われたのが

 

 

「ITの分野ははっきり言って高校を卒業するくらいの知識じゃあ、企業に入れてもらえません」

 

 

と言われました

 

 

おいおいおいおいおいっ!!?これ詐欺じゃね?!ww

 

 

って思ってました。

 

 

面接の時、どんな事がやりたいですか?って言われて

 

 

「IT関係の仕事に就きたいです!!」

 

 

って言ったら

 

 

「うん!!いいね!!!」

 

 

って満面の笑みで言ってたじゃん!!??ってw

 

 

とまぁ、現実の就職先は全然ジャンルの違う仕事に就くわけなんですが…

 

 

その前に、高校生活の中で一番楽しかったといえば「部活」でしたね。

 

 

僕の高校には「ライフル射撃部」という部活がありました

 

 

部活に入るときに、中学時代はバスケ部だったこともあり、完全に「バスケ部」に入部する予定でした。

 

 

ところが、部活見学に行った時に、中学時代の先輩がキャプテンをしていました。

 

その見学の時に気付いたんですが、中学時代の「地獄の練習メニュー」を丸パクリしていたので、中学時代の苦しい思い出がフラッシュバックしそうだったのであっさりやめましたww

 

 

「どうしよっかなぁ」なんて探していたときに、「ライフル射撃部」と出会います。

 

 

なんとなーくゆるそうな部活風景

 

先輩は部室でトランプをして、外に出れば野球をして、少ぉぉぉしだけ練習するw

 

そんな環境が気に入って入部しましたww

 

 

部活見学の時点でめちゃくちゃ人気で、初日から50人くらい来てましたね。

 

 

たぶん楽をしたい理由の人ばかり入部希望だったのかもと思いますww

 

 

めちゃくちゃ競争率高ぇじゃん?!入れるかな?!

 

 

と思っていましたが、1日経ち、2日経ち…最終日には結局20人くらいしか残っていませんでした。

 

 

思った以上に地味な競技だったのでみんなやめたんでしょうwww

 

 

そんなこんなで僕は「ライフル射撃部」に入部しました

 

 

入部してから、僕の症に合っていたのかメキメキと腕を上げていきました

 

 

1年ですでに県内3位、2年で県内2位になって、春の全国総体団体戦のメンバーに選ばれました。

 

 

たぶん個人競技が好きなんでしょうね。人に遠慮してしまう性格なので、自分の好きにできる競技が好きみたいです。

 

 

選ばれた時はうれしかったですね!先輩といっしょに行くのは嫌でしたけどww

 

 

全国大会は入賞できませんでした。

 

 

やはりそんなに甘くなくて、トランプと野球とサッカーをしているヤツが入賞できるようなレベルじゃありませんでした…www完全に舐めてました。

 

 

でも先輩は団体戦で2位?(だったかな?)に入って、すげぇと思いました!!

 

 

そこで僕はこう思いました

 

 

まてよ…?この射撃で全国入賞とかして実績ができたら

警察(公務員)とかいけんじゃねぇか?!

 

 

みたいな。

でも完全に浅はかでしたねw

 

 

これも後日談になるんですが、

もし全国1位とかになっても、大学に行って、そこでも入賞とかして

初めてオファーがくるかどうか?みたいな世界だったらしいですw

 

 

とまぁそんなこんなで3年生は少し練習を頑張りました

(『少ぉぉぉし』から『少し』ww) 

 

 

2年生の時より頑張って居残り練習とかしてました

その成果があってか、3年生になってからは県内では無敵でしたwww

常に1位!!

 

 

そして、

「春の全国総体」「夏のインターハイ」「秋の国民体育大会」

高校3大イベントに出場しました

 

 

 

ただ単純に県外に行って観光するだけでも楽しかったですww宮城、高知、静岡に行って楽しかったなぁ~✨

 

 

とまぁ高校生活は結構思ったよりもエンジョイしてきました

 

 

暗黒再来就職編

就職

 

 

さて、高校生活もあと少し…

進路の岐路に立っていたんですが

 

 

前述の通り、IT関係の企業には就職できないというのはわかっていたので、どこにしようか迷っていました

 

 

 

営業なんて人見知りのコミュ障の僕ができるわけがない…

工場なんて暗い場所で毎日同じ事を永遠とやってられない…

事務や会計なんて何をしているのすらもわからない…

 

 

ITに入る気満々だったので何の準備もしていませんでした

 

 

たしか志望を出すのも僕が一番遅かったんじゃなかったかな…?

 

 

結局、何もしたいことなんて見つからず、「ただ初任給が一番高いという理由」だけで工場を選びました。

 

 

 

当時の体験入社の絶望的な印象が、めちゃくちゃ鮮明に記憶に残っています…

 

 

それは、僕の思っていた通りだったのです

 

 

みんな黙々と作業していて、暗く、油臭く、汚い作業服を着ていました

 

 

とてもじゃないけど、こんなところで仕事できる気がしない…

 

 

と落ち込んだ記憶が鮮明に残っています

 

 

当時、僕の会社は「3K」と言われていました

 

 

「臭い、汚い、(作業が)キツイ」の頭文字を取って「3K」です

 

 

バブル期の「3K」の皮肉です

 

 

でも、親の期待に応えるためになんとか頑張らないと…

 

 

と思って入社したのです

 

 

入社してからが本当に大変でした

 

 

今までが体育会系の部活ではなかったので、当時の会社の風土は、僕には完全に合いませんでした。

 

 

声は張って出さないと怒られる

何もしていないと怒られる

失敗したら怒られる

2度目はもっと怒られる

3度目は殴られる

頭を動かすよりも体を動かせ

飲み会は強制参加

18歳の新人歓迎会はつぶされるのが伝統だと言ってフラフラになるまで飲まされる

飲酒運転当たり前(※絶対ダメです!!)

むしろ飲酒運転しないやつは仕事ができないやつだ!というわけのわからない理論をたたきつけられるww

 

 

本当に入社して3年くらいは絶望しかありませんでした

 

 

毎日車の中で泣きそうになりながら出勤していました

 

 

しかも、労働条件は最悪。劣悪。

 

 

当時は「残業規制」なんてなかったので、毎月「残業100時間」は当たり前に仕事をこなしていました。

 

 

もうね、残業100時間超えてくると人間は感情がなくなってくるんですよ

 

 

なんのために会社に行っているのかなんて考えずに運転する

何をしているのかなんてわからずに作業をする

怒られても何も思わなくなってくる

 

 

ごはんを食べることよりも「早く休憩所に行って寝たい…」ってずっと思ってました。

 

 

「眠い眠い眠い眠い…」しか考えてません。

 

 

しかも、土、日曜日も仕事なので、たまの休みにする事がないんですよね

 

 

お金だけが貯まっていきました

 

 

もし、一つだけメリットがあるとしたら、給料が他の会社に就職した奴らよりも多かったということだけですね

 

 

18歳の新人が「手取りで月30万」もらっていたんですから

 

 

今となっては「そりゃあ、それだけ働いていれば30万もらえるだろ!?」って思えるんですが、当時はマヒしてました。

 

 

「こんなにお金もらっていいのか?!」って。

 

 

お金をもらっても使う暇がないのでどんどん貯まります

 

 

入社して1年で母親に借りていた100万を返しました。

 

 

入社して初めて恩返しができているなぁと思った瞬間でした

 

 

でもそれと引き換えに体はどんどん疲弊していきました

 

 

体重が最高で50Kgまで落ちました 

 

 

身長は170cmなんですが今から考えたら異常でしたねwww

 

 

 

顔も毎日クマができて、頬はコケていきました

 

 

あの時に遊んでいた友人と会ったりすると「太ったなぁ~」って言われるんですが、あの時が異常だったと言ってます。(現在62Kg、標準です)

 

 

まぁそんなこんなでなんとか親に恩返しを続けたい一心で我慢して仕事をこなして、5年目くらいでリーダーに抜擢されました

 

 

リーダーになると今度は「体を使わずに、頭を使う」事が要求されるので、戸惑ったのを覚えています。

 

 

5年間ですっかり「頭を使う」という事ができなくなっていたんです。

 

 

先のことを考えて仕事をしていないので、提出物が納期までにできない

 

改善する時に、ノウハウなど知識がないから、その場で考えもせずに手を出して、機械を壊す

 

指示を出すのが年上の人ばかりなので、お願いするのがめんどくさくて、結局やらなくて、主任にしこたま怒られる

 

 

などなど、もうね…ホントに何も考えずに仕事してきたんだなぁって思ったんですよ。

 

 

もともと頭の回転が遅い僕はしょっちゅう「判断が遅い!!」と怒られていました。

 

 

結局どうやって頭を使えばいいかわからずに、一時はリーダーを下ろされてしまいます。

 

 

一時期はヤケクソになって、「俺は一生リーダーにはならない!!」と思って何も考えずに仕事してました

 

 

でも、やっぱり年を重ねると周りの上司や社員も淘汰されていき、リーダーを任命される時が来ました

 

 

ここで僕は心よく引き受けます

 

 

その理由は当時の上司が「怒らない、しっかり教えてくれる、考えさせてくれる」上司だったからです。

 

 

やっぱり人は人によって変わるんだなぁとつくづく思います

 

 

僕は選ばれて本当にラッキーだったと思います。当時の上司にほんと感謝しています。

 

 

あの時の主任に

知識を教えてくれなければ、

技術を教えてくれなければ

今の僕はいないと思います

 

 

なので僕は主任から教わった経験を生かして、今は部下の育成をしています

 

 

殴られて育った親が、子供をしつける時に殴るのといっしょで、殴られて教育された部下は、上に立ったら殴る上司にしかならないのです。

 

 

結局、回り回ってそのツケは本人に返ってくるのです

 

 

そしてリーダーを任されて、ついに主任になる選択を迫られました

 

 

その時入社して10年が経っていました。

 

 

 

 そして未来へ

そして未来へ

 

 

一時期、僕は主任になることをためらっていた時期があります

 

 

それは「責任」というプレッシャーに耐えられるのか?という自問自答でした

 

 

でも親のため、その時には結婚もしていたので、奥さんの為「主任になろう」と決意しました

 

 

主任になれば仕切ることができるので、責任はついて回りますが、うるさく言われることは少なくなりました

 

 

そこで僕は「この部署で誰よりも成果を上げてやる」と決めて、改善額500万を達成しました

 

 

こうして現在、主任の一つ上の主任になったというわけです。

 

 

そこまで突っ走ってきて、ふと思ったのが

 

 

ずっと僕は誰かの期待に応えようとしてきました

 

 

学級委員長に選ばれた時

生徒会に選ばれた時

県立高校に入らなきゃと思った時

就職する時

昇格する時

 

いつも僕は自分の感情を押し殺して、

自分のやりたい事をせずに

みんなの期待に応えようとしてきました。

 

それが悪いことだったとは思いません

結果的に応えてきたからこそ、

 

学級委員長になれたし、

高校にも入れた、

就職もできた、

仕事も続いた、

昇格もできた

 

 

でも、今主任となって思う事は

主任になってこれだけしかもらえないのか…

というお金に対する単純な喪失感です

 

 

一番初めの冒頭でも書きましたが、いわゆる古い考え方にのっとり過ごしてきた結果なんです。

 

 

毎月赤字スレスレ、

小遣いは月1万円、

何も買えないふがいなさ…

 

 

いったい俺は、会社で死ぬほど残業して、時間を削って頑張ってきて、何を得たんだろう…と

 

 

ふと思ってしまったのです

 

 

そしてついにある日、

ぼーっとTwitterを見ていて、見つけたのです。

「ブログで月100万収益が上がりました~」

というツイートを…!?

 

 

なんだこれはっ?!

 

 

って、画面にくぎづけになりました

 

 

それからはひたすら

 

 

ブログに関する知識を集め、

本を読み、

記事を書く

 

 

生活が始まったのです

 

 

そりゃあもうブログを始めてからは、妻に色々言われました。

 

 

「何を目指してるの?」とか

「そんな事してる暇があったら、家計の為にバイトでもしてきてよ!」とか

「いいよね、趣味見つけて、それやる時間があってさ~」など

 

 

妻からはさんざん言われてました。

 

 

こういう新しい事をはじめようとすると、批判する人達を「ドリームキラー」と呼ぶみたいです。

 

 

妻はドリームキラー化してましたね。

 

 

確かに理解するのは難しいと思います。

 

 

まさかブログで月収100万以上稼いでいる人がいて、それが有名な人なんあじゃなく、一般的な会社員でもできているだなんて…

 

 

それでも僕はめげずに…というか懲りずに継続し続けています。

 

 

もうこんな生活は嫌だ!

 

 

今まで必死に応えてきたんだから、少しは俺の好きな事をさせてくれ!!

 

 

奪わないでくれ!!!

 

 

こんな気持ちで日々頑張っています。

 

 

同じ境遇の人がいたら、是非僕のブログを見ていっしょに頑張ってほしいです。

 

 

「思考は現実化する」

 

 

僕はこの言葉が大好きです

 

 

思った事は実現できる力を持っているんです!!

 

 

いっしょに頑張りましょう!!

ワクワクする未来を作っていきましょう!!

少なくとも僕は出来ると信じています!!

 

 

みなさん見ていてください!僕が成功する過程を!!

よろしくお願いします。

 

しゅんまるでした

 

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ありがとうございました!!

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